真の仲間シサンダン(アスラデーモン)の正体は初代勇者?物語の核心を考察

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「真の仲間」のアニメ1期で主人公レッドたちと戦った宿敵・シサンダン。

アスラデーモンという魔族ですが、実はアニメ1期では語られなかった部分が多いキャラなんです。

魔族なのに初代勇者説が浮上していることでも知られてます。

ここではその初代勇者説から物語の核心まで考察しています。

目次

シサンダンとは

シサンダンとは勇者パーティとは何かと縁のある敵です。

この作品では物語が始まる前の段階ですでにルーティに倒されていますが、なぜか復活を果たしています。

腕が6本あるまさに怪物ですが、どんな背景を持つのでしょうか?

人間に擬態が可能

人の体の一部を食べることで、その人間に擬態することが可能です。

体を全て食べてしまうとその人間の記憶までも自分のものにできてしまいます。

シサンダンはリットの師匠であるガイウスを「完食」し、リットを騙すことに成功しています。

 

さらにダナンの右腕を食べてアレスを騙したり、ビュウイという冒険者になりすまし、協力者としてレッドに近づいていました。

ビュウイへの擬態も人を食べたと考えて良いでしょう。

世界で唯一加護を持たない

この世界の生きとし生けるもの全ては至高神デミスにより加護を与えられます。

それはもちろん魔族でさえも例外ではありません。

 

しかし唯一の例外として、アスラデーモンという種族は加護を持たずに生まれます。

記憶はそのままで復活できる

何度死んでも復活することが可能な生き物として描かれています。

明らかに死んだはずなのに復活し、世界で唯一加護を持たない種族。

そして死ぬ前の記憶を持ったまま復活ができる。

どう見てもこの世界における例外中の例外。

 

…どうしても何者かの意思を感じずにはいられません。

シサンダンの正体は初代勇者?

なぜか聖剣を持っていたシサンダン。

そしてルーティに勇者としての生き方を伝えていました。

そういったことから「シサンダンが初代勇者説」が考えられています。

ということで説に関する要素をまとめてみました。

魔王タラクスンの言葉では

死んだはずのシサンダンは、魔王タラクスンが復活の呪文を唱えることにより復活を果たしました。

その時にタラクスンはシサンダンのことを「勇者」と呼んでいました。

「おお勇者よ、死んでしまうとは不甲斐ない」

このセリフは明らかにドラクエのオマージュですね(笑)

言葉そのままに捉えるなら「我々魔族にとっての勇者」という意味になります。

 

しかしシサンダンの背景を深掘りして考えてみると、意外な考察ができることに気が付きます…。

5本の聖剣を持っていた

シサンダンと2度目の戦いが終わった後、レッドとダナンは話していました。

その内容とは聖剣とシサンダンについて。

 

聖剣である「神・降魔の聖剣」は2代目勇者が1本持って行ったと伝えられています。

そしてシサンダンは同じ物を5本も持っていました。

 

神が予備を用意するとは考えにくいことから、2人は「神・降魔の聖剣が元々6本あったのでは?」と考えます。

だとすると、シサンダンの腕の数に「足りる」のです。

勇者としての在り方を知っている?

シサンダンは2度目の戦いの最中、ルーティと会話をしていました。

ルーティ「私が普通に生きることはそんなに悪いことなの?」

シサンダン「そう、お前は勇者として生きなければならない。勇者が平穏に暮らすことは神も人も許さんのだよ」

まるで自身の体験と神の望みを語るようなセリフには、妙に生々しい感覚を覚えます。

 

勇者という加護は「人間らしさと対極にある」のに神様がわざわざそれを用意した事実。

やっぱり何かが歪です。

シサンダン(アスラデーモン)に加護がない理由

さて、シサンダンというキャラクターについて深掘りしてみましょう。

世界で唯一加護を持たないアスラデーモン。

アスラデーモンの特性や過去から物語の核心を考察してみました。

シンと戦うため?

かつて世界に加護「シン」が溢れていた頃、アスラデーモンたちは何度も「シン」に敗れました。

そして数多の敗北から学ぶことでとうとう「シン」の王を滅ぼすことに成功したんだとか。

これがアニメ1期分で語られなかった原作における最終盤のあらましです。

 

この世界では生きとし生けるものは誰もがデミス神により加護を与えられる。

しかしアスラデーモンだけが例外。

これはもう十中八九、デミス神による仕業でしょうね。

記憶そのままに生き返りが可能、だがレベルは1から…みたいな。

 

「シン」の加護はレベルのデバフが可能だからこそ、デミス神は加護そのものを無くしてしまった。

そうしてデミス神が「勇者の敵」としてバランスを取っているように考えることもできます。

至高神デミスの暇つぶし説

まず加護を人に押し付けているようなデミス神に対し、以下のような感想を抱きました。

「神様は暇つぶしのために人命を弄んでいるのでは?」と。

そこから往年の名作RPG「魔界塔士Sa•Ga」のラスボスを思い出してしまいます。

魔界塔士サガ

1989年、スクウェア(現・スクウェアエニックス)発売のゲームボーイ用ソフト。
主人公たちが楽園を目指して様々な世界を冒険する中、モンスターで世を乱していたのは世界を創造した神。
楽園のウワサは神が流したもので、そんな世界はありませんでした。
神は暇つぶしのために人命を弄んでおり、その神がラスボスとなるのです。
「俺たちはお前のおもちゃじゃない!」と怒り戦う主人公たち。
ついに神を倒し世界に平和が…というのがゲームの流れ。

神がチェーンソーで一撃死という伝説は今なお 語り草となっています(笑)

アニメ2期の黒幕は、その人生の最期の最期でデミス神と邂逅することになります。

その時にデミス神は「いつか勇者となって自分と出会う時」について言及しました。

それはすなわち、勇者ならばデミス神と出会えるということではないでしょうか。

 

デミス神は勇者との戦いを望むのでしょうか?

それとも別の何かを?

 

真相がアニメ2期で明らかになることを期待したいものです。

まとめ

アスラデーモンのシサンダンは食べた人間に擬態が可能で、加護を持たない種族です。

しかしその代わり、記憶そのままで何度でも復活ができます。

 

シサンダンには初代勇者説があり、魔王タラクスンからは勇者と呼ばれ5本の聖剣を持っていました。

さらには勇者としての在り方をルーティに説くなど神の意思を知っているかのような素振りでした。

 

シサンダンをはじめとしたアスラデーモンに加護がない理由は、神の意思によるものの可能性が考えられます。

今回も最期まで読んでいただきありがとうございました。

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